条文と判例を疑え!リーガルマインドについて考えてみたりする

「リーガルマインド!リーガルマインド!!」

法学部に入学しようとすると、どこの大学の案内にもしつこく出てくるこの単語・・・。
日本語に訳すと「法的思考」ですが、いまいちピンとこないものです。

そこで今回は、リーガルマインド・・・を考える前に、
前回少しだけ触れた「条文」「判例」について考えてみましょう。

「条文」と「判例」について考えてみる

法律の勉強をしようとテキストを買うと、必ずと言って良いほど「条文」と「判例」の解説がのっています。
前回お話しした通り、条文と判例(つまり、ルール)を知らないと、何が問題になるのか分からず、議論すらできないからですね。

条文と判例は絶対なのか

では、この条文と判例が絶対なのかというと、そういう訳ではないんです。
そもそも、条文はどうやってできるかというと、国会で議論して作るわけなんです。神様が与えてくれるものとかではもちろんなく、国会議員には選挙で再度当選するための利権なんかも絡んでくるので、どう頑張っても法律は「絶対的」なものではないんですね。

判例はどうやって出来るのか

また、判例についても、国家公務員たる裁判官が作るものです。司法試験に合格して、さらにそのなかでも優秀な(上位合格者の一部)しかなれない裁判官ですが、人間である以上、もちろん誤りはあります。(ほとんどないけど)判例の変更が多いのは、大体は世の中が変わった時です。例えば、昔はDNA鑑定などなく、生まれた子供と父親の血縁を客観的に証明するのが難しかったため、女性は再婚するまでにかなりの期間を空けなければならなかったのですが、科学技術の進歩により、今は検査ですぐに父親が分かるようになり、期間も変更されました。そういった科学技術の進化や、世相の変化などで、判例も少しずつ変わっていくものです。

ルールを疑うことから、良いルールが生まれる

つまり何が言いたいかというと、「ルールに絶対はない」ということです。
そして、絶対がないからこそ、議論ができるし、常に疑うことでよい方向に変化できるものです。なんか良いこと言った気がします。

だから、「ルールだから」というだけでルールに従うのではなく、そのルールの良し悪しをどちらも加味した上で、現在の最適の判断をくだすことが、リーガルマインドだと私は解釈しています。

いつもの廊下走行ルールで考えてみましょう

例えば、「廊下を走ってはいけない」というルールがあって、それに対して「ルールだから仕方ない」「なんか嫌だ」「絶対反対」というのではなく、「こういうメリットがあって、こういうデメリットがあるから、ここが妥協点だ」とう発想をしていく癖をつけるのが、法律病への近道ですね。

さて、リーガルマインドに戻ります

リーガルマインドを身に着けるには?

そして、リーガルマインドが社会に出てからも必要!!と(決して法学部の学生に対するポジティブキャンペーンではなく)言われるのは、日本人がこの視点を苦手なことの裏返しかもしれません。
「誰が言ったか」「誰が決めたか」に関係なく、全てを盲信的に批判するのではなく、全肯定するのでもなく、何事にもメリットとデメリットがあることを理解した上で妥協点を探す視点を持ちましょう。

条文や判例の捉え方

そういった意味で、条文や判例も「今の時代の妥協点」に過ぎず、変わっていくべきものです。変わるためには、条文や判例を十分に理解して、その問題点も含めて検討して、自分の中での妥協点を条文や判例もに捕らわれずに掴んでください。それが、司法試験に合格する近道だと、短期合格した友人たちもいっていました。

まとめ

資格試験の合格や、大学のテストに合格するために、問題の○×をひたすら暗記するだけでなく、そこからさらに一歩踏みこんで考えて、一緒に法律病患者になりましょう!!笑

みなさんも是非、法律の世界を楽しんでください!!